ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

「なんでもいい」の魔力

「何が食べたい?」

「どれが好き?」

「何したい?」

 

かつて、そんな質問を恐れていた時期があった。

 

「なんでもいい。」

 

なんでもいいわけ、なかったはずなんだ。

でも、心の声を無視して、「なんでもいい」って言い続けてたら、気づいた時には心の声が聞こえなくなってた。

 

自分が何を求めてるのか。何が好きで、何がほしくて、何がしたいのか。

 

どんなに自分に問いかけても、心の声は返ってこない。

 

なんでもいいわけ、なかったはずなのに、

いつのまにか、なんでもよくなってた。

 

 

そんな自分に嫌気がさして、大学に入った頃から、私は「なんでもいい」をやめた。

 

心の声は聞こえなくても、とりあえず「これがいい!」と言ってみることにした。

 

そしたら不思議と、ほんとにそれがいいような気がしてくる。

 

自分の発する言葉で、心を騙していたとも言えるかもしれない。

 

 

そんなことを続けて4年。最近は、心の声らしきものが聞こえるようになってきた。

 

でもそれが、本当に自分の声なのかは、よく分からない。

 

私が試しているやり方が正しいのかも、分からない。

 

でも1つだけ、これを読んでくれてる人に、伝えたいことがある。

 

 

心の声は、一度失ったら簡単には取り戻せない。

 

「なんでもいい」で、心の声を殺さないで。

世界で1番、自分が嫌い。それでも今、生きている理由

私は自分が大嫌いだ。

世界で1番、大嫌いだ。

 

好きになれる自分、自分じゃない自分に変身したくて、頑張ってみたこともある。

そのままの自分を好きになろうと、頑張ってみたこともある。

 

でもきっと私は、自分を好きになんてなりたくないんだ。

 

だってそうでしょ?

嫌いな人を好きになりたいなんて、思えないでしょ?

 

嫌いなものは嫌いなの。

 

それでも、どんなに嫌っても、

どんなに逃げて逃げて逃げつづけても、

自分からだけは逃げられない。離れられない。

 

でも1つだけ、大嫌いな自分から離れられる方法がある。

 

それは、生きるのをやめること。

 

それが唯一、私が私から解放される方法。

 

でもね、思うんだ。

 

私はこの世界に何かを残せたのか?

私は何のために生まれてきたんだ?って。

 

最後の手段を使う前に、私にはやるべきことがある。

 

一生分の生きた証を残すこと。

一生分の幸せを味わい尽くすこと。

 

やるべきことを果たすまで、

死にものぐるいで生きてやる。

 

一生分の生きた証を残して、

一生分の幸せを味わい尽くしたら、

 

笑って自分とさよならするんだ。

 

その日を夢みて、

死にものぐるいで生きてやる。

ぬくもりと引き換えに、自分の言葉を失った。

書けなくなった。

 

昔、真っ暗闇のどん底にいる時は、心の奥底から、湧き上がるように言葉が、文章が出てきた。

 

書き始めたら、とめどなく流れる濁流のように、言葉が溢れてきたんだ。

 

私の言葉には、悲鳴に似た魂がのっていた。これが、他の誰でもない私からしか出てこない言葉なんだって、胸を張って言えた。

 

時間が経って、私は変わった。

たくさんのあたたかい人たちに出会い、ぬくもりを知った。

前よりちょっと自分を認め、楽に生きられるようになった。

 

 

そして私は、書けなくなった。

 

何も湧き出てこない。

魂がのっていない薄っぺらい言葉の羅列に、吐き気がする。

 

私の言葉じゃない。

どこかで聞いたような、言葉の羅列。

 

私の言葉は?私はどこ?

 

何も見えない真っ暗闇にうっすら光が差し込み、ぼんやり世界が見えるようになるにつれて、自分というものが見えなくなっている。

 

私は、闇の中にしか存在できないんだろうか?

ぬくもりの中にいたら、消えてしまうんだろうか?

 

闇の中でしか、私は私の言葉を紡ぎ出すことができないんだろうか。

 

今の私には、人の心に響く文章は書けない。

 

 

もう一度、私の言葉を取り戻したい。

私を、取り戻したい。

殻が破れた、怒涛の2018年をふり返る

2018年を一言でふりかえるなら、

自分らしく生きるために、もがき、悩み、ようやく手ごたえを得られ始めた1年

でした。

 

1年間の主な出来事をざっとまとめると、

 

2月 SOKOAGE CAMPに参加

   ブログ「ももばちの軌跡」を始める

3月 ひとつなぎラスト企画「夢を咲かせる@弘前

4月 休学スタート

   ももばち工房スタート

   若者お花見交流会の企画・運営

5月 遠野に拠点をうつす

6月 Commons Space勤務スタート

   カメレオン食堂からの、弾丸福島

   ひとつなぎ解散

7月 小上がりと裏庭と道具Uオープン 

8月 遠野エコキャンプ

10月 田舎フリーランス養成講座

 

 とまあ、ここには書ききれないくらいいろんなことがあった1年でした。

 なかでも転機となった出来事について、ざっとふり返りたいと思います。

価値感が変わった、SOKOAGE CAMPとの出会い

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2月。気仙沼を舞台に繰り広げられた、1週間のSOKOAGE CAMP

こんなに愛に溢れた場所があっていいとかと思うくらいあったかくて。

そのぬくもりの中で、封印していた自分と向き合い、爆発して、たくさんたくさん泣きました。

このキャンプは私に、立ち止まってもいいということ、そのままの自分を受け入れた上で前に進む方法を教えてくれました。

休学する前、不安と焦りでどうしようもなかった時に、「生きよう」と思えたのは、このキャンプに参加して、愛に溢れた大好きな人たちに出会えたからだと思っています。本当にありがとう。

小さな決意と、休学

4月から大学を休学して、地元である遠野に拠点を移しました。

休学した理由はいろいろありすぎてここでは書ききれませんので割愛しますが、「自分らしく生きれる道を探す」という小さな決意を胸に決めた決断でした。具体的に言うと、フリーランスとして自分の好きなことで食べていけるのか、試してみるという挑戦でもありました。

結果的に、休学して環境を変えたことで、それまでの「何となくの日常」から抜け出し、たくさん葛藤しながら成長できたかなと思います。

挑戦と現実

そんなこんなで、始まった休学生活。

遠野でNext Commons Lab遠野の活動に関わらせてもらったり、ももばち工房としてハンドメイドの活動を始めたり、いろんな挑戦をしてきました。

楽しいこと、面白いことをできている感覚はあったけれど、それを「仕事」にするのは簡単ではなくて、思うようにいかないことばかりでした。

悔しさと、悲しさと、もどかしさと・・・。正直、めちゃくちゃしんどかったです。でも、大学を卒業する前にちょっとでも社会の現実を垣間見れたのは、それだけでも大きな収穫だったなあと思っています。

田舎フリーランス養成講座が、私を前に進めてくれた

f:id:momobachi:20190101023601j:plain10月、以前から気になっていた田舎フリーランス養成講座への参加を決めました。

何としてでも休学中にフリーランスとして稼げるようになりたい。

そんな涙目になりそうな決意で臨んだこの1か月で、私のフリーランス人生がようやく動き出しました。

生まれて初めてWebサイト制作というものを勉強しはじめ、講座中の1か月で基本的なスキルを習得して、仕事の募集を始めました。翌月11月にはなかなか仕事が取れず、くじけそうになりながらも、12月に入ると急に仕事がもらえるようになって、今後も継続的にサイト制作の仕事をやらせてもらえることに。

たった3カ月で、こんなにも人生が変わるものかと、自分でも驚いています。

 

 怒涛の1年と、2019年の抱負

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今までの自分を捨てて、新しい自分に出会えた1年でした。

そして、これ毎年言ってる気がするけど、2018年も大好きな人たちと出会い、たくさん支えてもらいました。本当に本当にありがとうございました!

 

2019年は、大学に復学するので、卒論とフリーランス活動を両立させられるように頑張ります!

あとは、自分にもまわりの人にも、もっと優しくなりたい。

まわりの人を、上手に愛せるようになりたい。

 

まだまだ未熟で、まわりの人を傷つけちゃうこともある不器用な私ですが、

2019年もあたたかく見守って頂けたらうれしいです。

今年もよろしくお願いします!

「ゲタ笑い」が消えた日

黄金時代の記憶

むかしむかし、私はゲタゲタ笑う子供だった。

お腹の底からこみ上げてくる笑いが止まらなくなって、何がそんなに面白いのか分からないけど、ただただ楽しかった。

 

私が笑うと、父は決まって、

「出ました、ももちゃん名物ゲタ笑い~!」

と言って盛り上げてくれた。

それがまた面白くて、私のゲタ笑いはますます止まらなくなる。それを見て、まわりのみんなも自然と笑う。

 

私の黄金時代の、大切な思い出。

 

その時は、ずっとずっと、何歳になっても、私のゲタ笑いでみんなが笑うあったかい日々が続くって、なんの疑いもなくそう思ってたんだ。

 

「普通」との遭遇

私のゲタ笑いが突然消えたのは、小学5年生になったとき。

 

それまで通っていた、全校生徒3人という小さな山奥の学校が廃校になり、全校70人ちょっとの学校に転校することになった。

 

山の中を駆け回って育った野生児の私にとって、そこは未知な世界だった。

 

その世界の子たちの口からは、聞いたこともない芸能人の名前やゲームの話が出てくる。

話についていくこともできなければ、友達と一緒に笑うこともできなかった。

 

そっか、私は「普通」じゃないんだ。

 

小学5年生だった私は、その時、初めて「自分」を捨てた。

 

「普通」になりたかったから。

 

何をしても、まわりから「変」って思われてるんじゃないかって気がして、笑うことすらこわかった。

 

とにかく、必死にまわりに合わせるしかなかった。何をしても面白くなくて、こわくて、さびしくて、苦しかった。

 

お母さんの異変

学校で「自分」を偽り続けるのも苦しかったけれど、それよりもっと辛かったのは、お母さんの存在だった。

 

もともと精神的に不安定で、私が小さい時からよく家出して、行方不明になることの多かったお母さん。

そんなお母さんの様子が、急激に悪化したのが、ちょうど私が転校した直後だった。

 

お母さんが言うには、私とお母さんは生き写しかのように性格が似ていて。今までたくさん苦労してきたお母さんは、自分と同じような人間をもう1人産んでしまったことを後悔していた。

 

そのことがはっきりと分かったのは後になってからだけど。それでもその当時も、私が学校でうまくいっていないことなんて、お母さんには絶対言えなかった。心配性のお母さんが心配して、ますます不安定になるのが目に見えてたから。

 

私は、家でも自分の感情を殺すことにした。

 

でも、どんなに隠しても、お母さんが何も気づかないなんてことはなくて。私が学校に馴染めないことを、自分のせいにしてしまうお母さんは、自分を責めて、責めて、おかしくなった。

 

日に日にお母さんが家出する頻度は増えて、私の家はボロボロになった。

夜になれば、家出しようとするお母さんと、それを止めようとするお父さんとの喧嘩が始まる。

 

その音は、私や弟が寝ている部屋まで筒抜けで。不安そうにしている弟に、「大したことないよ」って、動じていないフリをして見せたりもした。

 

忘れられない、一言

 中学3年の夜だった。

 

「産まなきゃよかった」

 

絞り出すようなお母さんの声に、私の中で、何かが壊れた。

 

そんなこと言うなら、最初から産まないでくれたらよかったのに。

 

私さえいなければ。

 

私さえいなければ、お母さんも他の家族も、こんなに苦しまずに済んだのに。

私さえいなければ、この家族はあったかくて楽しい家族のままでいられたのに。

 

私を産んだお母さんにすら求められていない自分に、存在価値があるとは思えなかった。

 

この時、処理しきれない行き場のない感情が、私の心を破壊し、麻痺させてしまったのかもしれない。 

 

 

今はもう出てくることのない、ゲタ笑い。

かわりに現われたのは、感情を表に出せない、ポーカーフェイスの私だった。

 

 

 

「ほんとは愛がほしい」と思いながら、必死に生きるすべての人へ

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この世界には、圧倒的に愛が足りていないと思う。

 

心が泣いてるのに、強がって笑ってる人。

生きる意味が分からなくて、何に対しても無気力な人。

どこか満たされない気持ちを抱えながら、必死に生きてる人。

 

ふとした時に感じる胸の奥のモヤモヤした気持ちを、ほんとは誰かに分かってほしくて。でも、助けてって言えなくて。結局また、大したことないって自分の気持ちに蓋をする。

そうしているうちに、だんだん自分の気持ちが分からなくなってきて、気づいた時には、心が置いてけぼりになってたりする。

 

ほんとは、愛がほしい。

でも、愛を求めるのはとっても難しくて、こわい。

 

人間って、強そうに見えても、実は誰だって弱さを抱えてる。

弱いけど、弱いなりに一生懸命闘ってて、めちゃくちゃ強い。

 

強くて弱い。弱くて強い。

だから人間は愛しい。

 

弱くて強い自分を、そのまま認めてあげてほしい。

自分で自分を愛せなくなったら、愛がほしいって、助けてって叫んでみてほしい。

弱くて強いあなたを、そのまま包み込んでくれる人がきっといるから。

 

それでも、どうしても声をあげれない人もいるから、

私はそんな人に、私が持てるありったけの愛を届けたいと思ったんだ。

 

弱いままのあなたでいい。

 

そのままのあなたが、愛しくてしょうがないんだって、伝えたい。

その人が、自分をぎゅっと抱きしめるように、自分を大事に生きられるように。

その人のまわりが、あたたかい愛で包まれているように。

 

この世界には、愛が足りない。

だからこそ、「ほんとは、愛がほしい」と思いながら必死に生きている人に、

そっと寄り添える人でありたい。

 

 

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【そこあげ物語 第3章】自分のことは分からない

気仙沼で大学生が1週間自分と向き合う「SOKOAGE CAMP」。そこで起きたことや感じたことを綴った、幻の1週間の記録が「そこあげ物語」です。

連載ですので、まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

momobachi.hatenablog.com

momobachi.hatenablog.com

momobachi.hatenablog.com

 

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向き合えていなかった過去

人生グラフで号泣した私は、次の日になっても放心状態で、魂が抜けたようになっていた。

 

あれは、何だったんだろう。

 

自分の過去の話をしたのは初めてではない。むしろ、よく話す方だと思う。心乱されることもなく、「事実」として、淡々と。

 

自分の過去とはもう向き合えているし、過去のことといっても、そんな大したことはなかったと、そう思っていた。

 

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それでもあの時、自分の過去を「事実」としてではなく、「痛み」として話そうとして、声を詰まらせた自分がいた。

 

私は本当に過去と向き合えていたんだろうか?

 

今まで過去の話をする時は、重くならないように、一部の断片的な「事実」を表面だけ薄く切り取って話していたのだと思う。そうすることで、その「事実」の背後にある、「痛み」をなかったことにしていた。

 

それで、乗りこえたつもりになっていた。

 

過去を美化して封印するのではなく、「あの時、つらかったな」「自分、頑張ってたんだな」って、そのまま認められるようになりたい。

 

それが、過去と向き合うことなのだと思った。

 

自分が分からない

私はキャンプに参加する前、自分のことは分かっていると思っていた。

改めて自分について考える必要も、過去と向き合う必要もないと。

 

でも、あの人生グラフでの号泣事件から、私は自分のことを何も知らなかったのだと気づいた。

 

号泣してはじめて、自分が過去を引きずってるって気づいたから。

そして、過去のわだかまりが今に繋がっているってことも。

 

自分のことなど、何も分かっていなかった。

 

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※現在、このSOKOAGE CAMPが、新たに参加者を募集しているみたいです。

ちょっとでも興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。

SOKOAGE CAMP