私たちは、「何者」かにならなければいけないのだろうか?
「大きくなったら何になりたい?」と問われつづけ、
「何者」かになることが当たり前とされてきた世の中で、
私は私を、社会の既存の枠組みに当てはめようと、
必死に私以外のを「何者」かを目指して生きてきた。
思うように枠にはまれず、「何者」にもなれない自分を責めた時期もあった。
私たちは、「何者」かにならなければいけないのだろうか?
既存の枠に当てはまらなくても、私は私のままで生きていけばいいのではないか?
私は、「何者」にもなりたくない。
私はただ、「私」でいたい。
もちろん、既存の枠組みにはまることが悪いことだとは思わない。
その枠があなたにぴったりとはまっていて、あなたがあなたのままでいられるのならば、何も問題はないと思う。
でも、もし今の枠組みに違和感を感じたら、
自分を壊してしまう前に、知ってほしい。
何者にもならなくたって、あなたがあなたのままで生きられる道があるということ。
無理に枠の中に自分を押し込まなくてもいいということ。
私は、あなたがあなたのままで生きていくための、「補助輪」になりたいと思っています。
いきなり一人で未知の世界に踏み出すのは、あまりにこわくて難しいから。
でも、補助輪をつけて走り出してみたら、きっと道は見えてくる。
そんな小さな成功体験の積み重ねで、生き方の選択肢は広がっていくんじゃないかと思うのです。
いつか補助輪を外しても、1人で好きなところに走っていけるように、
ほんの少しでも、力になれたら嬉しいです。