ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

※ひとりごとです

このブログ書くのはめちゃくちゃ久しぶりですね。

 

歳をとって、いろいろ経験して、

自分に価値があるって、何もできなくても存在してていいって思えるようになりたいと願って、自分に言い聞かせてみたり、

(あんまり言ってなかったけど)最近病院にも通いはじめて、できることをできる限り頑張ってみたけど、

 

結局まわりから求められてないって感じると消えたくなるし、

せめて身体だけでも求められたいって思うし、

そう思っちゃう自分に吐き気がしてさらに嫌いになる。

 

朝から「私の存在って価値あんのかな」とか過去のこととかいろんなことが頭を巡って、謎に涙がとまらなくなったので、ここに吐き出させてください。

とてもSNSでは書けないし、誰かに聞いてもらうにも、言語化できてないしわかりやすい「悩み」とかでもないしな…。

 

こういうほんとにしんどい時に限って人を頼れないとこも、ずっと昔から変わんないんだよな。

 

仕事しないと…。

ダメ人間だけど、生きている。

私は、とても自分に甘い人間です。

言い訳して、逃げてばっかりで。

 

頑張れなくて、人に迷惑をかけたり、信用を失って人が離れていったこともあります。

 

社会的に、すごくダメ人間だと思います。

 

いまだに、生きててごめんなさいっていう気持ちになることもあります。

 

 

それでも最近は、たとえダメ人間でも、生きててるだけで偉いじゃんって思うようにしてます。

 

まわりの人にも、生きてるだけでいいよって伝えたいです。

 

たとえ社会的に価値ないとか言われても、

「生きている」っていうこと以上の価値は存在しないから。

 

そんなの甘えだって言われたら、その通りだと思います。

でも、甘えでもいいんです。

 

だって今、生きてるんだから。

生きてるだけで、いいじゃん。

原動力には、悔しさがあった

私が「頑張る理由」って、なんだろう。

 

実現したい夢があるから。

喜んでもらえるのが幸せだから。

自分の存在意義を残したいから。

 

思いつくことはたくさんある。

でも最近気づいたのは、頑張る「理由」以前のエネルギー源に、「悔しさ」があるということ。

 

理由とかどうでもよくなるくらい、「悔しさ」は爆発的なエネルギー源になる。

 

私は自分に自信がなくて、

だからこそ、涙がにじむほど悔しい思いをすることが多々ある。

 

私にもっと力があれば、

私がもっと魅力的だったら、

私がもっと人に好かれる人間だったら・・・。

 

まわりと自分を比較しては落ち込み、

自分の実力不足を痛感しては落ち込み、

 

悔しくて悔しくて、

時に涙を流しながら、

時にやけくそ根性で、

がむしゃらにパソコンと向き合い続ける夜もある。

 

実力不足とか、自分の性格に関する悔しさもあれば、

そもそも自分という存在に価値があると思えないことへの悔しさもある。

 

そういういろんな「悔しさ」をエネルギーにして、今まで私は前に進んできたんだなぁと。

 

もちろん、悔しさだけだと長続きはしないけれど、悔しさは強烈な起爆剤で、一時的に爆発的なエネルギーを発揮することができる。

 

今まであんまり意識してなかったけど、「悔しさ」をうまく武器にできたら、かなりの強みになるんじゃないかと思った。

 

ちなみに最近は、Webデザイナー職の就活をしていて、デザイン一筋でやってきた美大生と同じ土俵にすら立てていないことを痛感して、悔しかった。

涙を堪えながらその会社を辞退して、

同じ土俵に立てるくらいの成果物を作ると心に決めた。

 

デザイナー職で就活を続けるのかは分からないし、そもそも就活もやらないことにするかもしれない。

 

それでも今、私の心には炎が宿っている。

絶対形にする。だって、悔しいから。

あなたのままで、生きてほしい ~ 今、私の軸にあるもの

私たちは、「何者」かにならなければいけないのだろうか?
 
 
「大きくなったら何になりたい?」と問われつづけ、
「何者」かになることが当たり前とされてきた世の中で、
 
私は私を、社会の既存の枠組みに当てはめようと、
必死に私以外のを「何者」かを目指して生きてきた。
 
思うように枠にはまれず、「何者」にもなれない自分を責めた時期もあった。
 
 
私たちは、「何者」かにならなければいけないのだろうか?
 
既存の枠に当てはまらなくても、私は私のままで生きていけばいいのではないか?
 
私は、「何者」にもなりたくない。
私はただ、「私」でいたい。
 
もちろん、既存の枠組みにはまることが悪いことだとは思わない。
その枠があなたにぴったりとはまっていて、あなたがあなたのままでいられるのならば、何も問題はないと思う。
 
でも、もし今の枠組みに違和感を感じたら、
自分を壊してしまう前に、知ってほしい。
 
何者にもならなくたって、あなたがあなたのままで生きられる道があるということ。
無理に枠の中に自分を押し込まなくてもいいということ。
 
私は、あなたがあなたのままで生きていくための、「補助輪」になりたいと思っています。
 
いきなり一人で未知の世界に踏み出すのは、あまりにこわくて難しいから。
でも、補助輪をつけて走り出してみたら、きっと道は見えてくる。
 
そんな小さな成功体験の積み重ねで、生き方の選択肢は広がっていくんじゃないかと思うのです。
 
いつか補助輪を外しても、1人で好きなところに走っていけるように、
ほんの少しでも、力になれたら嬉しいです。

私はメンヘラに嫉妬する。

私は人の闇が好き。

弱くて脆い人が好き。

 

けど、誰の目から見ても「メンヘラ」に見える人は、正直苦手だ。

 

嫉妬で狂いそうになるから。

 

いわゆる「メンヘラ」な人たちは、助けてっていうメッセージを分かりやすく出せる人だと思ってる。

 

言葉でははっきり言わなくても、誰の目から見ても助けを求めてるのが分かるから、心優しい人が手を差し伸べてくれるだろう。

 

それを見ながら、SOSを表に出すことができない人は、誰にも気づいてもらえなくて、1人でひっそりと苦しみ続ける。

 

メンヘラな人たちのことも嫌いなわけじゃないし、私には想像もできないくらい抑えきれないくらい苦しみと闘っているんだと思ってる。だからメンヘラな人たちを否定するつもりなんか微塵もない。むしろ尊敬してる。

 

それでも、そんな人を前にすると、自分が「助けて」って言えないことが悔しくて、そうやって嫉妬してばかりの自分が情けなくて…。

 

私もメンヘラではあるはずなのに、メンヘラになりきれないことが悔しいって思っちゃう。

 

私だってほんとは…。

そう思いながら、

ヘラヘラ笑って生きている。

眩しくない眩しさ ~感謝と、心からの嫉妬を込めて

最近友人が、「嫉妬集」と題して、嫉妬してしまうほど素敵な人たちをブログで紹介していて。

「すげーな、おまえー笑」 って笑って言いながら 後でため息ついて 「あー、こいつには敵わんわ…」 なんて思う。 自分の得意なこと探しても いつも誰かの顔が浮かんできて消えていく けど、 そんなたくさんの仲間たちは 何よりの僕の誇りで自慢でもある。 今思えば このたくさんの嫉妬が今の僕を作ってて ここまで連れてきてくれたんだろうなって。

(嫉妬集 | TOMO-TAKA)

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とっても素敵な企画だなあと思って毎回楽しみに読んでいたら、

なんと、その嫉妬集で私のことを書いてくれたんです!

ももばちが身につけた武器1つ1つが 僕にとっても 欲しいもので 身につけたい武器だったりする。 ももばち見てて それを身につけられなかったことを悔しく思うし そして それを身につけることのできたももばちに嫉妬する笑

大学生活の中で出会った仲間たちに嫉妬と尊敬と自慢、そして感謝を込めて『vol.15 千葉桃』 | TOMO-TAKA

 もちろん、すごくすごく嬉しかったんだけど、

同時に、なんだか複雑な気持ちになったので、感じたことを綴ってみたいと思います。

 

 

 

眩しくない君へ

君と初めて会った時、「眩しくない眩しさ」をまとった人だなって思った。

悔しいくらい、眩しくない。

 

色で例えるならこんなイメージ↓

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表面ではなく、内側からにじみ出る輝きをもった人。

 

 

君は、私が身に付けた武器に嫉妬するって言ってくれたね。

そう、私は今まで、必死にたくさんの武器を身に付けてきた。

 

「自分らしく」とかいいながら、見栄っ張りな私は、

でこぼこなままの表面を、

一生懸命磨いて、

コーティングして、

ツヤを出す。

 

少しでも、光り輝けるように。

自分の人生や自分のまわりを、少しでも明るく照らせるように。 

 

でも、君は違う。

 

私と同じくでこぼこだけど、

その表面は変にツヤツヤしてなくて、

深みのある、

自然な色をしている。

 

眩しくなくて、眩しい。

 

どんなに表面を磨いても、

どんなにコーティングしてツヤを出しても、

内側からにじむ君の輝きには敵わない。

 

私だって本当は、

内側から光りたかった。

 

 

1回しか言わないからよく聞いて。

 

私も君に、嫉妬しているよ。

言葉にしないこと

最近、うまく言葉にできないことが増えてきたな、と思っていた。

 

伝えたいのに、言葉が出ない。

この感情を、どう言葉にしたらいいのか分からない。

 

 

そんなある夜、思いがけずこぼれた涙の理由が分からなくて。

 

 

その時、ふと気づいたんだ。

 

私は、言葉にできなくなったんじゃない。

言葉にするのをやめたんだ。

 

言葉にしてしまえば、楽になるのかもしれない。

それでも、この涙を、言葉にしたくないと思った。

 

揺れ動く感情を、安易な言葉で置き換えたくない。

 

 

そう思うようになったのは、言葉の限界を強く感じるようになったからかもしれない。

 

複雑な感情を、言葉という記号に完全に置き換えることはできなくて、

 

それでも、迷いながら発した言葉は、そのまま相手に届いてしまう。

 

言葉にするのが、こわくなった。

 

逃げているだけかもしれない。

 

それでも、言葉にしたくないっていうのは、それだけ大切にしたいものがあるってことだと思うの。

 

よく分からない複雑な感情を、扱いやすい言葉に置き換えて消化するんじゃなくて、よく分からないまま、保存しておく。

 

大切に伝えたいことが、ちょっとでも正確に伝わるように、ゆっくりじっくり、成熟させながら伝えたい。

 

言葉にできなくて悔しい気持ちにもなるけれど、

大切なものを大切にできるようになったのは、

ちょっと成長したのかもしれないと思ったりする。