ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

ほんとは、気づいてほしい。

自分で言うのもなんだけど、私は幼少期から、自分の感情を隠すのが上手い子どもだったと思う。(多分)

 

少なくとも、常にまわりの人のネガティブな感情を感じとり、バランスをとろうとしていた気がする。

 

 

特に忘れられないのが、たしか中学3年生の真冬のこと。

 

その頃の母は、夜になるとお酒を飲み、毎日のように家出をしていた。

その日も吹雪の中外に出ていった母を、父と私と弟で捜索していた。

雪の上に残った足跡を頼りに、ようやく母の姿が見えた時、

母の向かう先が、崖になっているのが見えた。

 

「先に帰ってなさい」

と、いつになく緊迫した声で父に言われ、私は当時まだ小学生だった弟を連れて家に帰った。

 

弟は家に着くなり、こたつの中に潜って泣いていた。

 

それを見た私は、「何そんなとこに潜ってんの笑」と、なぜかケラケラ笑っていた。

 

胸の奥が、心が削られるような、そんな痛みがあった。

 

(この先の記憶は曖昧なので、若干事実と異なるところがあるかもしれない)

 

しばらくして父は、1人で帰って来た。

 

お母さんは!?

聞きたかったけど、聞けなかった。

 

それは、父の目にうっすら涙が浮かんでいるのが見えたから。

 

泣き続ける弟と、静かに涙を浮かべる父を前に、

なぜか私だけ、泣けなかった。

 

夜遅い時間だったので、もう寝ていなさいと言われ、私と弟はそれぞれの布団へ、父は居間で、母の帰りを待っていた。

 

寝なさいとは言われても、こんな状況で寝れるはずもなく、弟は布団に入っても泣き続けていた。

 

弟は泣き疲れて、しばらくすると泣き声が寝息に変わった。

 

それからかなりの時間が経って、

玄関が開いて、母が帰って来た音がした。

 

父と母の声がポツリと聞こえた瞬間、

ようやく私の目から涙が溢れてきた。

 

 

この出来事が私の中では特に強烈に残っているのだけど、

他にもよく、「泣きたいはずなのに笑ってる」ということがよくあったなぁと思う。

 

それは今でも残っていて、

誰かを前にすると、自分の感情をそのまま表現することができなくなってしまうなと。

(だからこうやってブログに垂れ流しているわけだけど)

 

基本的にはそれでいいと思って生きてきたし、まわりの人がネガティブな感情になることで自分までますますつらくなっちゃうから、自分のための行動でもあるなと思う。

 

ただ一方で、自分の気持ちを分かってほしいと思った時に、そのままの感情を伝えることがすごく苦手で、

 

分かってほしいくせに、話したいくせに、

無意識的に、相手の気持ちがネガティブにならないかとかいろいろ気にしすぎて、

笑い話に変えてしまったり、「事実」は言えるけど、ほんとに伝えたい「感情」の部分が話せなかったりする。

 

伝えられない。

でも、きづいてほしい。

 

笑ってるけど、

平気な顔してるけど、

全然大丈夫ですよって言っちゃうけど、

全く表情に出ないけど、

 

ほんとはたくさんのネガティブな感情が、

身体中を駆け巡っていること。

 

吐き出したくて、

でもどうしたらいいか分からなくて、

頼りたいけど頼りきれないこと。

 

伝えられない私が悪いんだけど、

でも、ほんとは、気づいてほしい。