ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

「闇期」という言葉を使う理由

私が最近よく使う「闇期」っていう言葉について、お話ししておきたいと思います。

 

過去の記事でさらっとだけ触れましたが、私は双極性障害Ⅱ型の診断を受けていて、現在も精神科の病院に通っています。

(これについては家族にはあまり知られたくないので、ここだけの話でお願いします笑)

 

双極性障害は一般的には躁うつ病と呼ばれていて、ざっくり言うと、気分が異常に高揚して行動の制御が効かなくなる躁状態と、うつ病みたいな症状が出るうつ状態を繰り返す病気です。

詳しくは調べてみてください(笑)

 

私の場合は、躁状態が軽くて鬱が強く出るⅡ型なので、躁状態でそこまで日常生活に支障をきたすことはそんなにないです。

とはいえ、躁の波が大きくなればなるほど、その後にやってくる鬱の波も大きくなるので躁状態に早く気づいて対処することは大事です。

でもやっぱり、こわいのはうつ状態で、

なるべく避けたいけど、それでもどうしても来てしまううつ状態とどう向き合うのかが、私の中でずっと大きな課題でした。

 

実は病院に通うようになって診断名がついたのは最近のことで、その前からこういう自分の特性はそれとなく自覚していました。

 

診断名がつく前、時々やってくるいわゆるうつ状態を、私はいつしか「闇期」と呼ぶようになっていました。

なぜ闇なのかと言えば、単純に闇に飲み込まれるような感覚になるので、闇期というのが感覚的に1番しっくりくるというだけなのですが、

診断名がついた今も「うつ状態」ではなく「闇期」という言葉を使っているのには、理由があります。

双極性障害の特徴を説明するときに、「気分の浮き沈み」という言葉をよく使うんですが、

これを言うとよく、「それ私にもあるよ」とか「誰にでもあるよね」って言ってくれる人がいるんです。

 

偏見を持っていないこと、共感を示してくれているのだとは思うのですが、

これを言われるとけっこう傷つきます。

 

 たしかに気分の浮き沈み自体は誰にでもあるものです。

気分の浮き沈みがまったくない人はなかなか少ないと思います。

 

でも、同じ「気分の浮き沈み」という言葉で表現される状態も、

程度が違えば全く別物であるということを、ほんの少し想像してみてほしいのです。

 

誰にでもある。

それなのに自分だけ頑張れないのは、甘えなんじゃないか。

 

呪いのようにまとわりついて、

頭の中から追い出そうにも追い出せないその言葉を、

信頼している人の口から言われる絶望は、傷つくなんてレベルじゃないです。

 

でも、それを言った人たちを責めることはできなくて、

なぜなら、それは言葉の限界だから。

 

同じ言葉で表されるものが自分にもあったら、

程度の差があることは分かっていても、実際経験したことがなければ、

自分の想像の範囲内にあると思うのは自然なことだと思います。

 

一般的な「気分の浮き沈み」と区別するために「双極性障害」という診断名が生まれたけれど、その「双極性障害」という括りの中にも本当にいろんな症状の人がいて、その苦しさは1つとして同じものはないと思います。

 

言葉でカテゴリー化することは、理解のヒントとしてはとても大切なものですが、

1人1人が持つ苦しみは、その1つ1つに名前がついてもいいくらい全く別物。

 

そう自分に言い聞かせるためにも、

私は私の苦しさを、カテゴリー名ではなく固有の名前をつけて「闇期」と呼んでいるのです。

 

大切な人を知らぬ間に傷つけてしまわないように、

相手の苦しみを完全に理解することはできないという前提で、

想像して理解しようとし続けられる人でありたいものです。