ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

もっと深く、つながりたい

人との距離感を縮めることが苦手で、

内側で無意識的にものすごく距離をとって人と関わっている自分がいる。

 

むき出しの感情をそのまま表現することができなくて、

「また共有できなかった」

そんな虚しさが、悔しさが、寂しさが、

身体中を駆け巡る。

 

ほんとは、この溢れんばかりの感情や感覚を、誰かと共有したい。

 

記憶を辿って説明的に話すんじゃなく、その時その瞬間に溢れる感情や感覚を、感情的な言葉で、そのまま共有したい。

 

でも、いざ自分の感情を共有しようとすると、自分の感情感覚がスーッと引いていって、今何を感じているのか分からなくなる。

 

心の距離感を保とうとしてる自分がいて、なかなか表現することを許してくれない。

 

 

でも最近、表現しなくても感覚を共有することができるのかもしれないと思った出来事があった。

私の価値観に共感してくれているとある仲間が、私の住んでいる地元に遊びに来てくれて、私のルーツとも言える大切な場所を案内していた時のこと。

私にとって、ここが原点であり私のアイデンティティの根っこにある場所に足を踏み入れた時、

何も言っていないのに、「ここはすごい…」と涙を滲ませてくれて。

「言葉にできない」と言いながらも、私の原点から何かを感じ取ってくれたことがすごく嬉しくて。

 

私の根っこを受け入れてもらえた。

そんな感覚に、込み上げてくるものがあった。

 

うまく言葉で喋れなくても、別の形で感覚を共有することもできるのかもしれない。

 

むしろ、言葉にしきれないところを共有したいのかもしれないな。