ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

長いと思ってた階段は、笑っちゃうほど短くて。

最近、家にいる時間が重苦しい。

家にいる時間をなるべく少なくしたくて、毎日のようにコワーキングスペースに通って仕事をしている。

今日も朝早くに目が覚めて、朝からコワーキングスペースへ。

でも今日は、昼前にはやることが終わってしまって、しぶしぶ家に帰る。

 

家に帰っても、何もやることがなくて、趣味はあるけど、何もやる気になれなくて、

だんだんと胸のあたりが苦しくなる。

 

耐えきれなくなって、外に飛び出す。

階段が長そうで行ったことのなかった近所の神社に行ってみることにした。

今なら、どんな長い階段でも登れる気がした。

よし、と心を決めて登り始めると、その階段は笑っちゃうくらい短くて。

 

そんなもんだよな、と思った。

長いと思ってためらっていた階段ほど、登ってみると案外短くて。

高いと思っていた場所は、なんてことない高さで。

そこには、なんてことのない景色が広がっている。

私がためらっていたものは、こんなもんだったのか。

 

そんなことばかりだ。

 

それからなんてことのないベンチにしばらく座り、街の音と鳥の声と水の音を聞いた。

平日の昼間にこんなところに来る人なんて誰もいなくて、

これでも社会人の私は、一体何をやっているんだろうと思った。

 

こんな生活をしていて、いいんだろうか。

 

私は、このままでいいんだろうか。

 

階段を降りて、そのまま帰るにはあまりに早すぎたので、近くの小さな水車を見に行った。

誰か知り合いに見られるんじゃないかとビクビクしながら、しゃがみこんで、ただ流れる水を見ていた。

 

昨日見た『サティシュの学校』という映画で、サティシュが、川のように生きなさい、みたいなことを言っていたのを思い出した。

ただ流れる水のように生きていけたら、どんなに気持ちがいいだろう。

 

本当は、暗くなるまでここで水を眺めていたかったけれど、道ゆく人や車が気になって、家に戻った。

 

まだまだ外は明るくて、寝るまでの時間をどうやって潰そうかと考えながらこのブログを書いている。

 

大した時間潰しにはならなかったけれど、ただ布団にくるまって苦しさに耐えるよりは、ちょっとでも散歩に出られた今日は、いつもよりちょっと良かったかもしれない。

 

こんな日常が、流れてゆく。