ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

唐突に現れるヤミと自己対話してみた。

最近、すごく調子はいいんだけど、時々、唐突にヤミが襲ってきてどうしようもなく苦しくなる。

 

そのヤミは、しばらくするとスっといなくなるので、これまではただ耐える、ということしかしていなかったのだけど、

一瞬だけやってくるこのヤミも、きっと何かを伝えようとして来てくれているんだろうなとふと思い、ヤミの声に耳をすましてみることにした。

 

よく考えると、このヤミは人と喋った後、テンションが上がった後にやってくることが多い。

 

何を言いたいの?

何があなたを怒らせてるの?

 

心の奥底のヤミに何度も問いかけ、ゆっくり感じる。

 

そうしているうちに、出てきた言葉はこうだった。

 

私はそんなに明るく大きなリアクションするような人じゃない。元気で楽しげな自分を演じすぎ。相手の喜ぶリアクションをしてるだけで、それは素の自分じゃない。そんなことしてるから疲れるんだよ。

 

でも、それは私にとって納得しがたい言葉だった。

たしかに、昔からその場や相手に合わせた自分を演じる癖は身体に染みついている。それが無意識のうちに出ていたのかもしれない。

とはいえ、最近元気なのも、嬉しくてテンションが上がる気持ちも本物なのに、その表現が演技だと言うのだろうか。

楽しい時に楽しさを、嬉しい時に嬉しさを表現することの何がいけないんだろう?

 

さらにヤミに問いかけると、浮かんできたのは、明るい部分だけ表現することでヤミの存在をないことにされることへの恐れ、のようなものだった。

 

明るい元気な自分を表現すればするほど、ヤミが「私はここにいる!」と言わんばかりに存在を主張してくる。

 

そうだよね、ヤミも含めての私だもんね。

思い返してみれば、あたかもヤミがいなくなったかのように「もう元気になったので大丈夫です!」って言っちゃってた自分もいる。

ヤミの存在を打ち消すように、元気な自分、明るい自分を誇張していた気もする。

 

最近エネルギーが湧いてくるようになったのは確かだけど、それでもヤミはいなくなったわけじゃない。ヤミと一緒に生きている。

 

なかなかバランスをとるのが難しいけれど、ヤミの存在も否定しないで生きていく。