ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

【そこあげ物語 第2章】突然の涙と裸の自分

気仙沼で大学生が1週間自分と向き合う「SOKOAGE CAMP」。そこで起きたことや感じたことを綴った、幻の1週間の記録が「そこあげ物語」です。

連載ですので、まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

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動揺

2日の午前中まで平穏だった私の感情が揺れ始めたのは、昼食を食べる直前、スタッフさんの一言からだった。

「午後からは人生グラフやりますー!」

 

人生グラフ。自分のこれまでの人生の起伏を折れ線グラフとして表し、その時の出来事や自分の状態を時系列に沿って振り返るワークである。

 

昨日会ったばかりの人たちに、自分の過去の話をする。

嫌だな、と思った。

はっきりとした理由は分からないが、なぜか大きな不安に襲われていた。

書けない過去

午後のワークが始まった。

まずは1人で、自分の過去をグラフに起こしていく。

いつも頭の中で過去のことを整理していたこともあって、グラフの線を引くのは簡単だった。

 

しかしその後、グラフにその時の出来事や自分の状態を書き込んでいくところで、私の手が止まった。

 

覚えていないわけではない。これをこの後、人に見せるんだと思い、何をどう書けばいいのか分からなくなってしまったのだ。

 

他の人がすでに書き終えてスタッフさんと話しているのを横目に見ながら、当たり障りのない言葉を探しながら、ぽつりぽつりと書き加えていった。

 

フリーズ

話したくない。嫌だ。逃げ出したい。そんな気持ちでいっぱいの中、全体共有が始まった。発表順は挙手制で、私は断固として手を挙げなかった。

 

他の人の発表が始まった。

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 いったん切り替えて話を聞くことに集中しようと思ったのに、私は、ちゃんと話を聞くことができなかった。話の内容は理解できるのに、何も考えられない。

人の過去の話を聞くのが好きな私には、異例の事態だった。

 

いつも誰かの過去の話を聞くときは、自分のことも忘れてその人1人に集中する。そうしないと、とてもじゃないけど向き合えない。人の過去の話を聞くというのは、私にとってはそのくらいエネルギーを要することなのだ。

 

そんな話を一度に10人分聞いた私は、自分の発表に対する不安も合わさって、完全に思考停止状態になった。発表の後のコメントに書く言葉すら、何も出てこなかった。それでも、話している人の痛みが伝わってくると、涙がじわっとこみあげてきた。

 

裸の自分

私以外全員の発表が終わり、最後まで手を挙げなかった私は、しぶしぶ自分の人生グラフを広げた。

みんなの人生グラフを聞いて、この人たちなら何を話しても大丈夫かもしれないと思えていたので、このときにはだいぶ不安は薄れていた。

大丈夫。話せる。そう思って話し始めた。

 

ところが、話し始めてすぐ、ある部分にさしかかった途端に突然、声が出なくなった。

 

・・・え!?

 

一瞬、何が起きているのか分からなかった。

 

私は、泣いていた。

大粒の涙と、声が出なくなるくらいの嗚咽とともに。

 

今まで、じわりと涙が浮かぶことはあっても、人前で声が出なくなるくらい泣いたことはなかったのに。

 

その後、どうやって何を話したのか、はっきりとは覚えていない。

不覚にも号泣している自分に戸惑いながら、それでも溢れてくる言葉を1つ1つ、ゆっくりと話した。30分もの長い時間、言葉にならない言葉を、みんなはただただ聞いてくれた。

 

この時から私は、弱くて泣き虫な自分を見せるようになった。

 

私が、裸になった瞬間だった。

 

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※現在、このSOKOAGE CAMPが、新たに参加者を募集しているみたいです。

ちょっとでも興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。

SOKOAGE CAMP

【そこあげ物語 第1章】いつもと違う自分

気仙沼で大学生が1週間自分と向き合う「SOKOAGE CAMP」。そこで起きたことや感じたことを綴った、幻の1週間の記録が「そこあげ物語」です。

連載ですので、まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。

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半信半疑

気仙沼へ向かうバスの中。

一緒に参加する後輩と、これから始まる1週間について話した。

過去にこのキャンプに参加したことがある人は、このキャンプの魅力は言葉では言い表せないと言っていた。誰もが涙を流し、参加してよかったと言って帰っていく。

 

どこか、うさんくさいなと思った。

「キャンプ中、みんな泣くらしいよ。なんかこわいよね(笑)」

 

そんな話をしながら、2人で気仙沼に降り立った。

 

上の空

その日はたしか快晴で、徹夜明けだったこともあってか、ハイテンションになっている自分がいた。駅に集合し、参加者やスタッフと顔を合わせて軽く挨拶を交わし、スタッフの車に乗り込んで会場となっている廃校舎へ向かった。

 

車の中では、みんな緊張している様子だったが、私は異常なハイテンションで、「春みたいにあったかいね!」と言って後輩と2人で盛り上がっていた。

 

学校に着き、自己紹介や掃除をしているときにも、なんだか上の空で、いつもと違う自分になっているような感覚だった。

 

不安があったとすれば、みんなの名前がどうしても覚えられなかったことくらい。何度聞いても覚えられない自分に、若干自己嫌悪になったりもしたけれど、それでもやっぱりハイ状態は続き、なんだかよく分からないけれど楽しかった。

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どうなりたいのか

 初日のワークの中に、このキャンプが終わった時にどうなっていたいかを書くというものがあった。

漠然とした動機で参加した私は、一瞬困ってしまったが、最近感じていた自分の中の課題を紙に書いた。

その時に実際に書いたものがこれ。

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自分で書いておきながら、なんだかしっくりこないなと思っていた。

 

私はこのキャンプでどうなりたいんだろう?

それが、キャンプの中で私が最初に考えるべき課題となった。

 

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次回第2章では、私がキャンプ中初めて号泣します。

 

※現在、このSOKOAGE CAMPが、新たに参加者を募集しているみたいです。

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SOKOAGE CAMP

 

 

 

【そこあげ物語 序章】はじまりの理由は、無責任

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幻のような1週間を経験した。

 

あの1週間は、本当に現実だったのだろうか。

 

現実とは思えないほど心地よくて、温かくて。

あの空間では、誰もが無防備に、裸になれた。

 

SOKOAGE CAMPとの出会い

2017年12月11日。

知り合いから、1つのメッセージが届いた。

 

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SOKOAGE CAMP。

宮城県の北東部に位置する気仙沼市という地で、1週間ひたすら自分と向き合いつづけるキャンプである。

 

このキャンプが、私をあんなに裸にさせることになるなんて、この時の私には想像もつかなかった。

 

 自分を変える覚悟はあるか

 送られてきたリンク先に飛んでみると、真っ先にこの言葉が飛び込んできた。

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SOKOAGE CAMP

 

「自分を変える覚悟はあるか」

 

おそろしい言葉だと思った。

 

私には、自分を変える覚悟があるんだろうか。

そんなこと、考えたくもなかった。

 

だから私は言い訳をした。

自分を変えるためではなく、誰かの人生を変えるノウハウを、参加者の目線から盗もうと思った。

本気の大人が運営しているキャンプがどんなものなのか、この目で見たいと思った。

 

その “ ついで ” に、今自分が直面している課題をちょっとでも解決できたらラッキーだなと。

そんな浅はかな考えで参加を決めた。

 

自分を変える覚悟なんて、最初からなかった。

 

自分には、必要のないキャンプだと思った。

これは、SOKOAGE CAMPのコンセプトムービーである。


SOKOAGE CAMP OO

私が最初にこの動画を見たのは、たしか申込みを済ませた数日後だったと思う。

 

そこには、過去のキャンプの様子と共に、参加者や主催者の声がおさめられていた。

 

動画の中で、主催者のゆっけさんが、次のように話している。

 

「大学生が自分の進路を決める前に、自分について向き合い考え直すような時間が必要だなと思ってこのプログラムをつくりました。」

 

この言葉を聞いた時、私の頭に浮かんだのは、自分自身ではなく、まわりの友人や後輩の顔だった。

 

 

私よりもこのキャンプを必要としている人がいる。

 

そんな気がした。 

 

だから私は、このキャンプを必要としていそうな人に声をかけまくった。

そして、1人の後輩が一緒にキャンプに行ってくれることになった。

 

今思えば、これも自分からの逃避だったのかもしれない。

私自身が自分と向き合わなくても、この後輩の成長を見届けることで、キャンプに参加する意義を見出したかった。

 

自分と向き合う必要性を、全く感じていなかったわけではない。

 

自分の弱さと向き合いたい。

変わらなければいけない。

 

そんな気持ちはあった。

 

でも、わざわざこのキャンプに参加しなくったって、すでに自分とは向き合っているし、自分のことはそれなりに分かっている。

 

たったの1週間で、自分の中の何かが変わるとは、到底思えなかった。

 

 

完全に、なめていた。

 

 

 

こうして私は、無責任な言い訳と共に、気仙沼へ向かうこととなったのだが――。

 

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次回、第1章では、いよいよ幻の1週間が幕を開けます。

 

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※現在、このSOKOAGE CAMPが、新たに参加者を募集しているみたいです。

ちょっとでも興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。

SOKOAGE CAMP

ブログを始めて早々、これは私の文章じゃないと気づいた話。

人を惹きこむ、世界観をもった文章を書きたい。

音楽のように、流れる文章を書きたい。

 

そう気づいたとき、私はブログの更新が進まない理由を自覚した。

 

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10日前に1つ目の記事を投稿して以来、私はどうしても次の記事が書けないでいた。書きたいネタはたくさんあるし、やる気も時間もある。

なのに、書けない。

記事の冒頭部分を書いては消して、また書いて、やっぱり行き詰る。

何度書いても、自分の中でしっくりくる文章が書けない。

 

何かが違う。

 

書けない自分への苛立ちと焦りだけが募っていく。

文章書くの、向いてないのかも。

ブログ、やめちゃおうかな。

そう思ったりもした。

 

そんなとき、ふと自分のFacebookの投稿をさかのぼってみた。

そして、ある1つの投稿に目がとまった。

これだ!って思った。

私が書きたかったのは、紛れもなくこういう文章で、今までブログで書こうとしていたのは、本来の私の文章じゃなかった。

 

まずもって、文体から違う。

1つ目の記事では、とりあえず他のブロガーさんの真似をしておこうと思って、ですます調で話し言葉のような軽い文体を使っていた。

(☟1つ目の記事。参考までに)

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でも思い返してみれば、私は昔から常体(~だ。~である。みたいな文末)が好きで、どうしても文章を書きたくてしょうがなくなった時、その文章はちょっぴりポエムっぽくて、文末は決まって常体だった。

 

書いているうちに、そこに私だけの世界ができる。

書き終わった時、その文章がどうしようもなく愛おしくなる。

 

そういう文章を、私は書きたいんだ。

 

自分に酔ってるみたいで、自分の文体が嫌だなって思うこともあるけれど、自分にはやっぱりこの文体が合ってるなって思う。

実際、今この記事を書いていて、すごく楽しいし、今まで書けなかったことが嘘みたいにスラスラ書いてる自分がいる。

 

言葉が、文章が、溢れてくる。

 

私は、文章を書くのが好き。

どうしようもなく好き。

 

 読んでくれてる人には読みにくいかもしれないし、ブログにはこの文体は向いていないのかも分からない。

でも私は、型にとらわれずに自分らしい生き方を探すためにブログを始めた。

だからこのブログも、まずは自分らしい文体で、自分が書いていて楽しいと思える文章を書いてみようと思う。

 

この文体で書くことで、どこか現実離れした物語のように聞こえるかもしれない。

でも、それはそれでいいかなとも思う。

 

ももばちのノンフィクション小説を読んでいるような気持ちで、このブログを読んでもらえたら嬉しい。

 

そうはいっても、記事の内容によっては、この文体じゃない方が書きやすいものもある。統一感はなくなってしまうかもしれないけれど、とりあえずは記事の内容しだいで、その都度書きやすい文体で書いていこうと思う。

 

もっと気軽に、書くことを楽しんでみよう。

 

なんだかちょっと、わくわくしてきた。

「変人」なりに生きていく。ももばち、ブログはじめるってよ

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はじめまして!休学中の大学生、ももばちです。自分らしい生き方を模索しながら、その過程を発信するために、この度ブログを始めました!

今日は、ブログを始めた理由と、このブログで何を伝えたいのかを簡単にお話したいと思います(^ω^)

 ☟目次

 

「普通」になれない。

ももばちを一言で表すとしたら、「変人」です。(笑)

みんなが当たり前のようにやっていることができないしみんなと同じことはしたくないのです。まわりと感覚がちょっとズレてるなと感じることがよくあって、世間一般的な「普通」と自分のギャップに悩まされてきました。いわゆる「社会不適合者」とも言えるかもしれませんね。(後ほど別の記事で詳しく書きます。)

よく「型にはまりたくない」という言い方をするのですが、正確には、「一般的な型が自分に合わない」のです。 

 

そもそも「普通」である必要があるのかっていうところなんですが、結論だけ言えば、「普通」である必要はないと思います。(笑)

でも、だったらそれでいいのかと言われればそんな単純な話でもなくて・・・。「普通」じゃないために乗りこえなければいけない課題もあります。

 社会のスピードについていけない。

「普通」じゃない、まわりと違うと感じる部分は、挙げはじめたらきりがないのですが、その1つが時間感覚です。

私たちは毎日常に、「時間」というものに縛られて生活をしています。決まった時間に起きて、決まった時間に電車に乗り、決まった時間に学校に行き、決まった時間にサークルに行く。休日のんびりできる時間でさえ、その時間は有限だし、課題や作業は決まった時間までに終わらせなきゃいけない。

何当たり前なこと言ってんだと思われそうですが、何をやるにも人一倍時間がかかる私にとって、常に時間に追われ、決まったことをこなし続ける生活は苦痛でしかありません。

もっと、ゆっくりじっくり、その時その瞬間をかみしめるように生活したい

自分のなかのスピード感と社会のスピード感のズレをどう乗り越えていくのかは、大きな課題の1つです。今後のももばちの奮闘に乞うご期待。(笑)

 

「普通」に働けない。

大学3年生ももうすぐ終わろうとしている今、まわりの友人は本格的に就活を始めています。そんな姿を見ながら、私はどうしても就活に乗り気になれずにいました。

 

私は会社では働けない。

そんな不安がずっと心の中にありました。

会社という社会のスピードについていける気がしないし、雇われて働くのは自分には合っていない気がする。

私は、時間や場所に縛られないで、仕事の内容も一緒に仕事する人も、全部自分で決めたいんだい!!

なに甘いこと言ってんだと怒られても仕方ないとは思います。でも、何かに縛られるのが本当に無理なんです。

 

「生きにくさ」と共に生きる!

もう既にお分かりかもしれませんが、私は相当ダメな子です。やりたくないと思ったら絶対やらないし、すぐに逃げる。仕事も遅くてミスも多い。

ある時期までは、自分の心が弱くて努力が足りないのが悪いんだと思って、頑張って「普通」を目指していました。

 

でも、ふと、もうやめようって思って。自分の弱さや生きにくさを隠すんじゃなくて、生きにくいなりに生きていける道を探してみようと思ったんです。

 

今の社会にある型が自分に合わないのなら、自分に合う型を自分でつくっていけばいい。道を外れるって、こわいし、うまくいくかどうかも分からない。でも、何度も失敗しながら自分に合った生き方を探していけたら、「変人」な私でももっと生きやすくなるんじゃないかと思うんです。

 「自分らしく生きる」という選択肢を発信したい!

私がこのブログで伝えたいことはただ1つ。

 

立ち止まってもいい。

逃げてもいい。

道を外れてもいい。

生きにくくても、自分らしく生きていける道がある。

 

それがどんな道なのか、今の私にはまだわかりません。道を外れてそのまま新しい道をつくり続けるのか、それとも、道を外れてまたどこかで合流するのか。

自分らしさを追求して食べていけるほど、世の中は甘くないのかもしれません。やってみないと分からないことも多いし、うまくいかないこともたくさんあると思います。

自分らしく生きるための挑戦や失敗。そのすべてを奮闘記として発信し続けることで、より生きやすい生き方を提案できればいいなって思っています。

 

右往左往しながら生きる私の生き方が、誰かの毎日をちょっとだけ生きやすくするヒントになれたらいいなと願っています。 

ゆっくりのんびり続けていきたいと思いますので、温かく見守って頂けたら嬉しいです。

自分らしく生きたい方ももばちの成長を見守ってもいいよっていう心優しい方は、どうぞ末永くお付き合いお願いいたします!