ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

私のヤミが教えてくれた、大切なこと

私は生まれてきてはいけない存在だった。

存在していてはいけない。

生きていてはいけない。

 

そんな呪いが、私のヤミの奥深くに染み付いて、なかなか消えてくれない。

 

誰に求められていなくても、生きてていい。

存在しちゃいけない人なんて誰ひとりいない。

 

そうやってずっと言い聞かせてきたけれど、

ことあるごとに、ヤミが暴れ出す。

 

存在してるの、つらいよ。

まだ生きなきゃいけないの?

って。

 

「存在していてはいけない」っていう呪いが完全に解けない限り、

生きていることは、ただただ苦しい。

 

でも、「生きたい」とは思えないけど、

せめてこの社会に、

私が存在していた意味を残して死にたい。

 

存在していてよかったんだって、思いたい。

 

だから、もうちょっとだけ。

そう言い聞かせて生きてきた。

 

 

最近、私が生きていた意味を残すために大きく動き出そうとしたタイミングで、

ひさしぶりにヤミの叫びを感じた。

「そういうことじゃない!」

何かを、必死に訴えている。

 

やりたいことをやっと形にできるのに、この時のために生きてきたはずなのに、

何が言いたいんだろう?

 

ちょっとずつヤミの声に耳を傾けていると、まず最初に感じたのは、やっぱり「生きる」ことへの抵抗だった。

 

でも、本当に言いたいのはそこじゃない気がして、

改めて自分のヤミが形成された経緯を振り返ったり、溢れてくるヤミの言葉を書き留めたりしているうちに出てきたのは、

 

"まわりに承認される自分を演じなくても、

 等身大の自分で生きてていいって思いたい"

 

っていう言葉だった。

 

私は今まで、自分の存在価値をつくるためだけに生きてきた。

生きてていいって思いたくて、

そのために、私にできる形で"価値"を残さなきゃって。

 

 

等身大で生きたいっていつも言ってるのに、

気づいたらいつも"価値"を残さなきゃって必死になって、

求められてないって感じた時には、自分の存在意義がないんじゃないかって苦しくなって。

「私いない方いいのかな」

って言葉がちらつく。

 

そういう生き方、もう苦しいよ。

 

ヤミが本当に言いたかったのは、

"価値"を生み出すためだけに生きることへの、警鐘だったのかもしれない。

 

ほんとは、

自分が生み出した"価値"とか関係なく、

自分の存在自体を許せるようになりたい。

 

存在してていいって、

生きてていいって思いたい。

 

ただ、生きることを楽しめるようになりたい。

 

分かってたはずなのにいつの間にか忘れてた、大切なこと。

時間はかかるかもだけど、忘れたくない、大切なこと。

 

教えてくれて、ありがとう。