ももばちの軌跡

人のヤミが好きなだけのももばちの、ヤミの悲鳴とアイ。自分のヤミと向き合いながら生きる、ももばちの奮闘記。

優しくしないで。

人から優しくされることを恐れてる自分がいる。

話きくよ?って言ってくれる優しい人が近くにいるのに、

ほんとは聞いてほしいって思ってるのに、

 

それに見合うお返しできないから…とか、

ただでさえ存在価値ない私が、相手の負担になるようなことできないとか、

 

ありったけの言い訳を並べて、相手の優しさから逃げ出しちゃう。

 

心閉ざしたままの自分で、受け取ったフリして誤魔化しちゃうこともある。

 

気にかけてくれてることは嬉しいし、すごくありがたいなぁって感謝もしてるんだけど。大好きなんだけど。

 

なんでこんなに距離とってんだろ、私。

 

大好きとか言いながら、自分は心開いてないじゃん。信じてないじゃん。

 

いや、相手のことは信じてるけど、

自分の存在価値を信じられないから、

 

人のためにエネルギーを使える優しい人だと分かってるから、

私なんかにエネルギーを使わないでほしい。

 

あなたが好きと言ってくれた私は、

私の中のごく一部にすぎなくて、

あなたから見えていない私は、あなたに愛してもらえるような人間じゃないかもしれない。

 

こんな私が、お返しできるかも分からない優しさを、ただ受けとっていいのかな?

 

ヤミ期が近づくにつれて「優しくしないで!」が強くなる。

 

ぬくもりから逃げ出して、暗くて冷たいところに行きたくなる。

 

ヤミがあるから人は愛しい。

 

でもやっぱり私は、

自分だけは嫌いなんだよな。

 

※追記

私はめちゃくちゃ依存体質で、聞いてもらえるって思ったらヤミ期に入った時に一気になだれ込んでしまって相手を傷つけるリスクがあるから、
それを避けるために優しさを受け取ることへの抵抗感が強いのもあるかも。

封印していた“宝箱”を、開きたい

私は私の“たからもの”を、

「普通」じゃないからと否定して、

封印しながら生きてきた。

 

大好きだったもの、

森の中で過ごした、心踊るような、ワクワクが溢れ出すような、あの時間。

あたたかく、包み込むように見守ってくれた大人たち。

 

あの空間、あの時間は、

全部「普通」じゃなかったんだ。

 

普通じゃない環境で、普通じゃない体験をしてきたから、

今の普通じゃない私がいる。

 

"たからもの"だったはずのあの時間は、

いつしか私を苦しめる憎いものになっていた。

 

「普通」になりたくて、

私は“たからもの”を捨てた。

 

自分が好きなもの、心踊ることは、

まわりの「普通」ではないから、

まわりに承認される「普通」な自分を、

必死に演じるようになった。

 

これまでテレビとかゲームとか興味すら持たなかったのに、みんなと一緒にいたくて、みんなと普通に話がしたくて、

父親に、テレビがみたい、ゲームがほしいと泣きわめいてお願いした。

「普通はみんなゲーム持ってるし、テレビも見てるのに、なんでダメなの?」

って。

 

でも、その想いは届かなくて、

「そんなの必要ない。」の一点張りで、聴いてもらえなかった。

 

今思えば、父は父で、まわりの「普通」に合わせる生き方じゃなくて、本当に大切なものを守り抜いてほしいという想いがあったのかもしれない。

 

でもその時の私は、まわりの「普通」に適応することでしか、生きることができなかった。

 

こんな変な家に生まれたくなかった。

 

そうやって、"たからもの"を否定して、

「普通」じゃない自分を否定して、

でも「普通」が分からなくて。

 

今の自分は「普通」になれてるんだろうか?って、なるべく目立たないように、まわりの人たちの真似をして、息を潜めて生きていた。

 

私は「変な奴」だから、

好きなこととか、考え方とか、心に浮かぶ感覚とか、ぜんぶみんなとズレていて、

本当の自分を隠し通さないと「普通」になれないんだって。

 

透明人間のように、

表情を変えず、

声を出さず、

余計な動きをしないように…。

 

誰よりも私の存在を否定し、私の"たからもの"を憎んで消し去ろうとしていたのは、他でもない私自身だった。

 

長かった暗黒時代が終わって、

私ははじめて、「普通」じゃない私をそのままさらけ出せる人たちに出会った。

 

大学以降に出会った人たちは、私の暗黒時代の「普通」という枠組みとは違う世界で生きている人たちだった。

 

私は私のままで生きていいのかもしれない。

そう思わせてくれた。

 

でも、暗黒時代に形成された私のヤミが消えることはなくて、このヤミをエネルギーに変えて生きていくしかない。

 

死ぬために生きる。

溜め込みすぎた大きなヤミのエネルギーを、愛という形でこの世に遺して、さっさと死んでやる。

 

そう思って、今も生きている。

 

でも最近、捨ててしまったと思っていた"たからもの"の存在が、頭にチラつくようになった。

 

地元に帰ってきて、小さい頃よく遊んでいた森に子供たちと入っていき、そこであの頃の私みたいに大はしゃぎして遊ぶ子供たちの姿を見た時に、

なんとも言えない、虚しさがおそってきた。

 

たしかにここに、私の"たからもの"があるのに、あの時とは違う自分がいる。

 

捨ててしまった"たからもの"は、

取り戻せないんだろうか。

 

いや、でも、たしかに私の中に、あの時の記憶も、その時の感覚も残っている。

 

私は"たからもの"を、捨ててなんていなかった。

どんなに否定しても憎んでも、消えてなくならないように、

鍵のついた頑丈な宝箱の中にしまって、心の奥底に沈めていただけなんだと思う。

 

だから、あの森に入ったとき、こんなにもヤミが「ここにあるよ!」って叫ぶんだ。

 

宝箱の存在は、前々から薄々感じていた。

 

でも生きたくない私が、自分の存在価値を信じられない私が、やっぱり普通でいたい私が、

宝箱の鍵をあけることをずっと拒んできたんだと思う。

 

こわいけど、

この宝箱を開かない限り、

私の呪いが解けることはない。

 

最近、そんな気がならない。

 

簡単なことじゃないけどね、

 

開きたいって思えた今がきっと、

宝箱を開くタイミングなんだと思う。

絵が描けないコンプレックスを紐解いてみた

絵が描ける人に対して、嫉妬してしまう自分がいる。

私も絵描けたらよかったのにって、いつも思う。

 

小さい時は、大きくなったら何になりたい?と聞かれると、

迷わず「絵かきさん!」って答えてたくらい、絵を描くことが好きだった。

 

保育園でも、私の記憶にある限りでは、絵を描いていた時間がほとんどだった気がする。

 

でもいつしか、私は絵を描くのが苦手だと気づいてしまった。

それがどうしてなのか、何かきっかけがあったのかははっきり思い出せないけれど。

 

もしかしたら、小学5年生で初めて同級生ができて、まわりの子たちの方が絵が上手いと感じたのかもしれない。

 

そんなこんなで、私は「絵かきさんになりたい」という夢を早々に諦めた。

 

絵よりも文章で表現する方が得意だと気づいた、というのもあるかもしれない。

 

でも思い返してみると、中学生の時の美術の授業が大好きで、

普段まわりの子たちが描くようなかわいいイラストは描けないけど、デッサンとか、風景画とか、見たものをそのまま描くのは得意で、先生に褒められて嬉しかった記憶もある。

 

絵が描けないって自覚してからずっと絵を描くことからは逃げてたけど、色鉛筆がとにかく大好きで、お小遣いを貯めてはいろんな色の色鉛筆を買い揃えていた。

絵は描かないけど、塗り絵で見本の通りの色を再現したり、自分の好きな色をつくったり、影をつけて立体感を出すのが楽しくて、

その時間は、すべてを忘れて夢中になれてたな。。。

 

自分で輪郭を描くことへの、恐れがある。

 

ちょっとこじつけかもだけど、

絵が苦手って自覚したタイミングが、

「普通にならなきゃいけない」って思い始めたタイミングと重なる。

 

もしかしたら今でも、

「普通」でありたい私が、

輪郭を描くことを拒んでるのかもしれない。

 

輪郭から描かずに、

色を塗ってたら自然に輪郭ができてた、みたいな、

そういう絵なら描けるかもしれない。

 

でもそれで「絵が描ける」っては言えない自分がいるんだよな。

 

「絵」っていう言葉にこだわらず、

単純に「色が好き」って言っとけばいいのかな。

 

得意じゃなくても、好きって言っていいはずなのにね。

 

 

※追記

今思い出したけど、小学生くらいの時に、元美術部だった母親から絵の個別レッスンみたいにマンツーマン指導してもらってた時があって、

左右対称にハートを描く練習とか、均等なグラデーションとか、毎回課題を出されてやってたんだけど、なかなか合格がもらえなくて、

そこで自信なくしたのも関係あるかも。

(結局お母さんに行きつく、、、笑)

トモダチって、なんだっけ

利害関係じゃない、価値提供とか損得とかじゃない、存在そのものを認め合って、心に浮かんだことをそのまま共有し合えるような、

そんな人との関係を築きたいって思ってるはずなのに、

 

相手に求められてないって感じると、心の奥がえぐられるように苦しくなって、逃げ出したくなる。

 

この人にとって、私の存在は必要なんだろうか?って、そんなことばかり気にしてて、

相手にとっての自分の必要性が確信できないと、関係性を維持することが苦しくなる。

 

友だちはいないわけじゃないし、何も価値提供しなくても繋がっていてくれるだろうなっていう友だちもいるんだけど、

心のどこかに、相手にとってプラスの存在でいなければいけないっていう呪いがある。

 

相手の負担になるのがこわくて、

湧き上がってくるヤミの声をそのまま伝えることができなくて、

 

大好きな友だちはたくさんいるのに、

ヤミを共有できない関係性が、なんだか薄っぺらく感じて、孤立感が深まっていく。

 

ヤミの声をそのまま共有しても、否定しないで聴いてくれるって、そのまま受け止めてくれるって、分かってる。

 

分かってるんだけど、人と話す時にどうやったら感情を表現できるのか、分からない。

 

ひとりでいる時はヤミの言葉が溢れてくるのに、

人を前にすると、私のヤミがすっと引っ込んで、押し黙ってしまう。

湧き上がってこないから、記憶を辿って、これまで言語化してきた感情を話してみたりするけど、

 

その後またひとりになった時に、「そういうことじゃない!もっと感情を共有したかったのに!!」ってヤミが暴れ出す。

 

何も気にせず、何でも話せる友だち、いないかもしれない。

 

まだ少しエネルギーがある時なら助けてって言えるけど、

どん底まで落ちてほんとにしんどい時、

今の状況をどう説明したらいいか分からない時、

ひとりでいることが苦しくて、助けて…!ってヤミが悲鳴を上げてる時に、

 

誰かとつながりたくてLINEを開くけど、

「たすけて」の4文字が送れなくて、

泣きながらスマホを放り投げる。

 

私は大好きな友だちのこと、信じきれていないのかもしれない。

 

トモダチって、なんだっけ?

私のヤミが教えてくれた、大切なこと

私は生まれてきてはいけない存在だった。

存在していてはいけない。

生きていてはいけない。

 

そんな呪いが、私のヤミの奥深くに染み付いて、なかなか消えてくれない。

 

誰に求められていなくても、生きてていい。

存在しちゃいけない人なんて誰ひとりいない。

 

そうやってずっと言い聞かせてきたけれど、

ことあるごとに、ヤミが暴れ出す。

 

存在してるの、つらいよ。

まだ生きなきゃいけないの?

って。

 

「存在していてはいけない」っていう呪いが完全に解けない限り、

生きていることは、ただただ苦しい。

 

でも、「生きたい」とは思えないけど、

せめてこの社会に、

私が存在していた意味を残して死にたい。

 

存在していてよかったんだって、思いたい。

 

だから、もうちょっとだけ。

そう言い聞かせて生きてきた。

 

 

最近、私が生きていた意味を残すために大きく動き出そうとしたタイミングで、

ひさしぶりにヤミの叫びを感じた。

「そういうことじゃない!」

何かを、必死に訴えている。

 

やりたいことをやっと形にできるのに、この時のために生きてきたはずなのに、

何が言いたいんだろう?

 

ちょっとずつヤミの声に耳を傾けていると、まず最初に感じたのは、やっぱり「生きる」ことへの抵抗だった。

 

でも、本当に言いたいのはそこじゃない気がして、

改めて自分のヤミが形成された経緯を振り返ったり、溢れてくるヤミの言葉を書き留めたりしているうちに出てきたのは、

 

"まわりに承認される自分を演じなくても、

 等身大の自分で生きてていいって思いたい"

 

っていう言葉だった。

 

私は今まで、自分の存在価値をつくるためだけに生きてきた。

生きてていいって思いたくて、

そのために、私にできる形で"価値"を残さなきゃって。

 

 

等身大で生きたいっていつも言ってるのに、

気づいたらいつも"価値"を残さなきゃって必死になって、

求められてないって感じた時には、自分の存在意義がないんじゃないかって苦しくなって。

「私いない方いいのかな」

って言葉がちらつく。

 

そういう生き方、もう苦しいよ。

 

ヤミが本当に言いたかったのは、

"価値"を生み出すためだけに生きることへの、警鐘だったのかもしれない。

 

ほんとは、

自分が生み出した"価値"とか関係なく、

自分の存在自体を許せるようになりたい。

 

存在してていいって、

生きてていいって思いたい。

 

ただ、生きることを楽しめるようになりたい。

 

分かってたはずなのにいつの間にか忘れてた、大切なこと。

時間はかかるかもだけど、忘れたくない、大切なこと。

 

教えてくれて、ありがとう。

波を抑えるの、やめた。闇エネルギーで生きていく

自分の中の闇も、そのまま認めようって思ってたはずなのに、

双極性障害っていう診断名をもらってから、いかに波を小さくするかってばかり考えてた。

もちろん波が大きいとその分、闇期も長く深くなってしまってしんどいから、その波を小さくしたいと思うのは自然なことだと思う。

 

でもそもそも私は、闇エネルギーで生きてるんだよな。

 

闇期がなければ、その反動で愛が溢れて幸せな気持ちになったり、溢れ出るエネルギーで何かを一気に形にする、なんてこともない。

闇が、生きる理由をつくってくれてる。

 

闇がないと成立しないなんて、

なんでこんな苦しい生き方してんだろって思うけど、

やっぱり愛を溢れさせて生きたいから。

 

そのためには闇が必要なんだと思う。

苦しいけどね。

 

もし双極性障害の「症状」である波が小さくなって、闇期が来なくなったら、

私は何を幸せと感じるんだろう?

 

日常の小さな幸せを噛みしめながら穏やかに生きる生き方も、素敵だなっては思うけど、

穏やかに長く生きるよりは、闇エネルギーで愛を湧き上がらせて、燃えるように命を使う方が、苦しいけど私らしいなって思う。

 

闇から卒業しようって決意したこともあったけど、

闇から離れても、やりたいって思うもの、惹かれるものは、ことごとく闇と繋がっていた。

エネルギー源になってるのは、いつも闇だった。

 

もう、よく分かった。

私は闇がないと生きられない。

 

闇がどうしようもなく苦しいのは、多分これからも変わらないけど、

その闇が愛に変わる瞬間を知ってるから。

 

湧き上がる愛を失うくらいなら、

闇なんて、抱えたままで生きてやる。

 

波って、抑えるものじゃなく、乗るものだよね。

「闇期」という言葉を使う理由

私が最近よく使う「闇期」っていう言葉について、お話ししておきたいと思います。

 

過去の記事でさらっとだけ触れましたが、私は双極性障害Ⅱ型の診断を受けていて、現在も精神科の病院に通っています。

(これについては家族にはあまり知られたくないので、ここだけの話でお願いします笑)

 

双極性障害は一般的には躁うつ病と呼ばれていて、ざっくり言うと、気分が異常に高揚して行動の制御が効かなくなる躁状態と、うつ病みたいな症状が出るうつ状態を繰り返す病気です。

詳しくは調べてみてください(笑)

 

私の場合は、躁状態が軽くて鬱が強く出るⅡ型なので、躁状態でそこまで日常生活に支障をきたすことはそんなにないです。

とはいえ、躁の波が大きくなればなるほど、その後にやってくる鬱の波も大きくなるので躁状態に早く気づいて対処することは大事です。

でもやっぱり、こわいのはうつ状態で、

なるべく避けたいけど、それでもどうしても来てしまううつ状態とどう向き合うのかが、私の中でずっと大きな課題でした。

 

実は病院に通うようになって診断名がついたのは最近のことで、その前からこういう自分の特性はそれとなく自覚していました。

 

診断名がつく前、時々やってくるいわゆるうつ状態を、私はいつしか「闇期」と呼ぶようになっていました。

なぜ闇なのかと言えば、単純に闇に飲み込まれるような感覚になるので、闇期というのが感覚的に1番しっくりくるというだけなのですが、

診断名がついた今も「うつ状態」ではなく「闇期」という言葉を使っているのには、理由があります。

双極性障害の特徴を説明するときに、「気分の浮き沈み」という言葉をよく使うんですが、

これを言うとよく、「それ私にもあるよ」とか「誰にでもあるよね」って言ってくれる人がいるんです。

 

偏見を持っていないこと、共感を示してくれているのだとは思うのですが、

これを言われるとけっこう傷つきます。

 

 たしかに気分の浮き沈み自体は誰にでもあるものです。

気分の浮き沈みがまったくない人はなかなか少ないと思います。

 

でも、同じ「気分の浮き沈み」という言葉で表現される状態も、

程度が違えば全く別物であるということを、ほんの少し想像してみてほしいのです。

 

誰にでもある。

それなのに自分だけ頑張れないのは、甘えなんじゃないか。

 

呪いのようにまとわりついて、

頭の中から追い出そうにも追い出せないその言葉を、

信頼している人の口から言われる絶望は、傷つくなんてレベルじゃないです。

 

でも、それを言った人たちを責めることはできなくて、

なぜなら、それは言葉の限界だから。

 

同じ言葉で表されるものが自分にもあったら、

程度の差があることは分かっていても、実際経験したことがなければ、

自分の想像の範囲内にあると思うのは自然なことだと思います。

 

一般的な「気分の浮き沈み」と区別するために「双極性障害」という診断名が生まれたけれど、その「双極性障害」という括りの中にも本当にいろんな症状の人がいて、その苦しさは1つとして同じものはないと思います。

 

言葉でカテゴリー化することは、理解のヒントとしてはとても大切なものですが、

1人1人が持つ苦しみは、その1つ1つに名前がついてもいいくらい全く別物。

 

そう自分に言い聞かせるためにも、

私は私の苦しさを、カテゴリー名ではなく固有の名前をつけて「闇期」と呼んでいるのです。

 

大切な人を知らぬ間に傷つけてしまわないように、

相手の苦しみを完全に理解することはできないという前提で、

想像して理解しようとし続けられる人でありたいものです。