小学5年生で転校した時から高校まで、
私は声に出せない心の悲鳴を、1冊のノートに書き殴っていた。
そのノートには、ただの感情の吐露もあれば、
自分自身を投影した小説も断片的に書いていた。
きっと処分してしまったはず、と思っていたのだけれど、ふと思い出して探してみると、案外簡単にひょっこり出てきた。
今なら、当時の自分を許せるんじゃないか。
そう思って開いてみたけれど、ノートに記された生々しい言葉を目にした時、
私の中に出てきたのは、嫌悪感だった。
盲目でまわりが見えないまま、自分の世界の中で悲劇のヒロインを演じる姿。
恋愛感情かのように書かれた言葉は、ただ依存の沼にハマっているだけだった。
「痛い奴だな」
そう思ったのは、今の私がこの時と大して変わっていないからかもしれない。
同族嫌悪。それに似た感情だった。
もう、いい加減抜け出したい。
何となく、この時の自分を許せない限り、抜け出せない何かがある気がして、
自分に言い聞かせるように、でも、本音から離れないように、
10年前、このノートを書いていた自分に手紙を書いてみようと思う。
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10年前の私へ
10年前の私は、それから10年後も生きてるなんて、思ってなかったよね。
今日を生きることすら苦しいのに、明日を生きたいなんて思えなかった。
今でもたまにそういう感覚になることはあるけど、なんだかんだ生きれちゃってるよ。
あなたが書いたノートを開いた時、正直、同じ私だと思いたくないくらい、冷たい感情が湧いてきました。
でも、自分の世界に酔ったポエミーすぎる文章は、今書いているこのブログとそんなに変わらなくて。
闇の中で盲目になる感覚も、今と何ら変わりのないものでした。
頼れるものが何もなくて
誰も信じられなくなって
でも信じたくて
でも離れていくのが怖くて
必要とされたくて
見てほしくて
このノートの中でしか吐き出せなかった闇は、
今では、このブログを読んでくれてる人や話を聞いてくれるあたたかい人たちに、包んでもらえるようになりました。
消えたいとしか思えなかった10年を経て、最近、ようやく少しだけ、「生きる」という前提でいろんなことを考えれるようになりました。
逃げ場のなかった地獄の中で、
現実を現実として捉えるのはあまりに辛すぎて、
物語の世界に逃げたのは、きっと間違いじゃなかった。
背負いきれない現実を、自分が主人公のフィクションとして捉えていたのは、きっとすごく自然なことだった。
誰にも胸の内を明かせなくて、ただ一人の人に必要とされたい、信じたいと願うのは悪いことじゃなかった。
そのことに嫌悪感を持ってしまってごめんなさい。
だれよりも人の心の痛みに、そっと寄りそえる人になりたい。
あなたが高校生になってからノートに書いていたこの言葉は、今でも私の中心にあります。
思えば私は10年前から、自分に似た痛みを持った人の力になりたいと願い、
それを救いに生きてきたのかもしれないと、ノートを読んで感じました。
あなたが望んだ姿に、私は近づけているのかな?
「まわりに心配をかけない強い人」にはなれそうにないけど、
人を信じてさらけ出せる強い人になりたいな。
あなたのノートを見ながら、
「こんな時もあったな」なんて笑えるようになるには、
まだもう少し時間がかかりそう。
もうちょっと、待っててね。
消えたいと願ってから10年以上、
長いトンネルはいまだに出口が見えていないけれど、
「10年以上も暗闇をさまよってるんだから、そろそろ出口くらい見つけてよ」
とあなたの声が聞こえてきそうなので、
もう少しだけ、踏ん張ってみるよ。
生きていてくれて、ありがとう。